PROJECT STORY

現場の期待を超えていくために、挑み続ける一歩がある。自らの使命を全うしていくための、ひたむきな一歩がある。ここでは実際に進められたプロジェクトやそのメンバーたちの姿を通して、「現場に強い八神」を体現する、社員たちの「価値ある一歩」に迫ります。ぜひ、私たちの仕事内容や、その仕事が持つ意義にふれてみてください。

PROJECT01

世の中の“いのちの不安”に立ち向かうために。
前例のない一歩を。

[東海地方初 コロナ専門病院立ち上げプロジェクト]

2020年の秋、東海地方のとある地域に新型コロナウイルス中等症患者および軽症患者の受け入れを行う、エリア初のコロナ専門病院が開院した。その頃、日本では新型コロナウイルスの感染拡大により、様々な医療施設で患者があふれ、病床は逼迫。来る日も来る日もメディアは医療現場の窮状を伝え、「医療崩壊」という言葉が叫ばれた。そんな世の中に漂う不安を少しでも解消し、いのちと向き合う最前線の現場を支えるため、この病院の立ち上げに奔走する人たちがいた。その中に、医療機器の納入を担う八神製作所の社員、片岡と佐藤の姿があった。

PROJECT MEMBER

片岡 唯典
営業 課長
1999年入社

佐藤 浩太
営業
2018年入社

はじまったのは、
見えない不安と向き合う日々。

以前から県庁と関わりを持っていたことが、八神製作所が今回のプロジェクトに携わるきっかけとなった。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいはじめた頃、県庁から医療機器に関する問い合わせがあったという。「機器の説明やおおよその金額感をお伝えし、一般的な機種についての会話を重ねていくうちに、コロナ専門病院立ち上げの話があるとの情報をメーカーよりいただきました」と話すのは、県庁や医療機器メーカーとの折衝を担った片岡だ。「担当している病院の業務に加えて、この病院の立ち上げに関わることは自分自身、やり遂げることができるのか不安でした」と、当時の心境を語る。時を同じくしてプロジェクトメンバーに加わったのは、営業として前身の病院を担当していた、当時入社3年目の佐藤だった。「新型コロナウイルスは、今でこそ実態が解明されてきているものの、当時はまるで未知のウイルス。一般の方々と同じように『対策方法がない』『危険』といった印象を持っていました」。目に見えないウイルスへの恐怖と、先の見えない開院への道筋。まさに見えないものだらけの中、2020年の夏、前例のないプロジェクトが動き出した。

県庁と医療機器メーカーと、
一枚岩となって取り掛かる。

片岡はまず、開院に必要とされる物品リストの作成に取り掛かった。医療用ベッドや点滴棒といった一般的な病院として必要な機器はもちろん、血液中の酸素濃度を測るための「パルスオキシメーター」などコロナ専門病院として不可欠な物品の目安をつけ、医療機器メーカーと交渉を重ねた。「緊急度も高く、使用できる物品も限られる。普段からお付き合いがあり、信頼のおける医療機器メーカーとタッグを組みました」。また、今回のプロジェクト特有の事情もあったという。「県の担当者の方は医療が専門ではないので、八神製作所の会社案内をお持ちするなど、私たちの仕事について伝えるところからはじまりました」。時間が限られる中であっても、丁寧に説明を積み重ねていく必要があった。「関係を築くところからスタートだったので、やりとりに齟齬がないよう十分気を付けました。とはいえ、心構えは通常の仕事と変わりありません。常に相手の立場に立つことを意識して仕事に取り組みました」。混乱のある時期ではあったが、県の職員、現場スタッフ、医療機器メーカー、そして八神製作所と、色々な状況ごとにそれぞれの立場を考え、円滑に業務が進められるように交渉を重ねた。書類一つ、メール一通送ることにも気を配りながら、県庁と、医療機器メーカーと、徐々に足並みが揃っていったという。

不足する医療物資を、
この病院で不足させない。

コロナ専門病院との直接のやりとりを担った佐藤は、今回開院する病院ならではの事情に頭を悩ませていた。「コロナ専門病院には常勤の医師がおらず、看護師の数にも日々増減があります。人員が変われば手技も変わり、使用する医療機器も変更されることが多々ありました」。しかし、使用する物資は日々困窮を極め、特に医療用のマスクやガウン等といった衛生関係の製品をはじめとする医療物資の在庫が品薄となっていた。そんな中でも医療機器メーカーと逐一交渉し、納期について細心の注意を払い、いくつもの予防線を張りながら手配を行うなど、八神製作所の二人は根気強く納品までこぎつけていった。「『絶対になくてはいけないものを、必ず納品できるのか』ということがとにかく重要でした。医療機器メーカーには、無理を聞いていただいた部分もあるかもしれません」と片岡は当時を振り返る。佐藤も「聞いたことのない処置方法や、普段は扱うことのない薬品に関する話題も多く、順応していくことが難しかったです」と苦労を語る。わからないことはその都度現場に確認を取り、知識を増やしながらの対応だったという。とはいえ、医療の現場に強さを発揮する八神製作所ならではのこだわりもあった。「医師が使用する医療機器等の判断は必ず医師に確認してもらいました。緊急の場面であっても使い慣れているものが使用できるよう、代替え品はなるべく提案しないようにして、スムーズな処置につながるよう心がけました」。危機的な状況下でも、常に現場で働く医師や看護師のベストパフォーマンスを見据え、仕事に取り組んだ。困難を乗り越え、プロジェクトは着々と軌道に乗り始めた。

ニュースで報道される仕事に、
責任と社会貢献の大きさを実感。

世の中でも注目度の高かったコロナ専門病院。片岡が持ち込んだデモ機を手に医師が説明をする様子が、翌日のニュースに取り上げられたこともあったという。「コロナ専門病院についての報道を目にすると、社会貢献ができたのではないかと思います」。それは、一つの大きな達成感を感じた瞬間だったという。「県内の患者様がこの病院を利用される可能性があり、そのような施設の担当を任されていること。そして医師や看護師の方々から『いつもありがとう』とお声がけいただけることに、少しは社会貢献ができたと感じました。」と佐藤も口を揃えた。「県内の医療機関のコロナ病床が埋まってしまった中で、今回のコロナ専門病院の話が来た。この病院がなければ救うことができない患者さんがいると聞いてきたので、適当な気持ちで仕事はできない」。並々ならぬ決意でこの仕事に望んだ佐藤にとっても、それは印象に残る場面だった。2020年の秋、東海地方初のコロナ専門病院は、様々な方々の努力と希望の先で、開院の日を迎えた。「地域に寄り添ってきた八神製作所。東海地方の医療現場に強いことが、今回のプロジェクトでお声がかかった理由のひとつだったと思います」と片岡は振り返る。八神製作所が東海地方初のプロジェクトに選出されたのは、今まで歩んできた一歩一歩の、積み重ねの賜物でしかない。

片岡は最後にこう語った。「会社なのでもちろん利益も必要。しかし、今回のプロジェクトは社会貢献だと思い、確実な納期や安定供給、現場のニーズを優先し、特に力を入れて進めました。相手の方にご納得いただける様に丁寧にわかりやすく説明を行うことの大切さを改めて実感しましたね」。現在も担当営業としてこの病院に出入りを続ける佐藤も、「自分たちの仕事は表立って医療に携わるわけではないが、少しでも医療従事者の皆様のお力になれるよう心掛けています。今回のプロジェクトでは自分が経験したことのない内容の仕事がほとんどだったので、様々なところから情報を仕入れて知識につなげていくことに力を入れました。これからも日々挑戦の気持ちで頑張っていきたいと思っています」と決意を口にした。自分たちが納品する医療機器がなければ、多くのいのちが危険にさらされてしまうかもしれない。そうした使命感や責任感を力に変えて取り組んだ今回のプロジェクト。「いつ次の感染拡大の波が来るのか分からない中で、一つの安心を提供するために必要な病院だった」と、二人は胸を張る。このコロナ禍が収束を迎える日まで。今日も新型コロナウイルス感染症患者を受け入れる病院のために、ひたむきに汗をかき続けている。